2016年11月25日金曜日

点をつなぐ3

Image result for 伊集院光 100分で名著 道元
NHKの番組


前回前々回の続きです。

アドラーから始まり、松井・イチロー、ジョブス、某元野球選手ときて、最後に曹洞宗の開祖道元です。NHKのEテレで伊集院光が司会をやっている「100分で名著」という番組(毎週月曜22:25〜)が面白くてときどき見るのですが、今月取り上げられている名著が、道元の「正法眼藏」です。先週の放送で講師のひろちさやさんが以下のような文章を紹介して解説していました。

はなにも月にも今ひとつの光色おもひかさねず、はるはただはるながらの心、あきも又あきながらの美悪にて、のがるべきにあらぬを、われにあらざらんとするには、われなるにても、おもいひしるべし。 

【現代語訳】 花や月を見ても、そこに別の光や色を付け加えず、春はただ春ながらの心、秋は秋ながらの良さ/悪さがあり、それ以外のありようがないのである。いくら自分が自分でないものになろうとしても、結局、自分は自分でしかないことを思い知るべきである。


サイクリングや登山に出かけてこのブログに載せる写真を撮ったりするとき、もう少し晴れていれば、とか、もう少し紅葉が鮮やかであれば、もっと積雪が多ければ、、、と感じることが多いのです。こういう感じ方は、自分自身や周りの人のことに関しても、あのときこうしていれば、とか、もうちょっと頑張っていれば、もう少し云々、というふうに考えるのと同じです。
 
道元ならそういうとき、「今ひとつの光色おもひかさねず」と云うでしょう。目の前のあるものを大切にしなさい、いまあるありのままを愛でなさい、ということですね。これは、かけがえのないこの瞬間瞬間を大切に生きるということで、アドラーの「人生とは連続する刹那である」、ジョブスの「connecting the dots」と同じことだと思います。

NHKの番組で朗読を担当しているきたろうが、ココでは特におもしろいことも言わないのですが、いい味をだしています。先週の番組で講師のひろさんが、過去→現在→未来(その下に自分)と書いた図版を取り出して「嫌われる勇気」と同じ説明を始めたときは目が点になりましたが、ジョブスが禅に傾倒していたのは有名な話ですし、道元の思想がハイデガーなど西洋の哲学に影響を与えたことも周知のことなので、アドラーもその影響を受けていたということなのでしょう

ちなみに曹洞宗の本山は、福井の永平寺と横浜市にある総持寺です。後者は、もともと能登の輪島市門前町に開かれたものが火災で消失して100年ほど前に移転したものです。輪島のお寺もその後復興して総持寺祖院となり現在に至ります。10年前の能登沖地震で被害を受けて現在改修工事中ですが、参拝出来ます。道元は京都の人ですが、両祖の一人が越出身で永平寺で修行したあと、祖院のもとになったお寺の住職となったことに由来するようです。



輪島市門前町にある総持寺祖院



2016年11月23日水曜日

海老江海岸

海竜マリーナ

今シーズン二回目の寒波到来。午前中雨で遠出できなかったが、午後遅くいつもの場所でスイム&ラン。夕方から晴れ間も見えて、お山を見ながらランニング出来た。先々週の第一寒波のあと好天が続き、標高2000m以下の雪は一旦溶けたが、今回の寒波でかなり下まで降りてきたようだ。




毛勝三山
トンビ&カラス軍団
ランニングコースから
西日を浴びる剣岳
毛勝〜剣〜立山
湾岸サイクリングロード

使用カメラ:LUMIX DMC-LF1
 画面右端のゴミが気になるので、今日修理に出してきました。分解クリーニングに一万数千円かかるそうです(涙)。お気に入りのカメラなので仕方ありません。



2016年11月13日日曜日

白木峰(1596m)、富山県

浮島の池から白銀の立山連峰 

秋晴れの一日。冬季閉鎖されたばかりの大谷林道からMTBと徒歩で白木峰へ登り、新雪と紅葉を楽しんできた。
 林道ダウンヒルの途中、大きな黒い陰が頭上をかすめた。あわててカメラを構えて撮影に成功。クマタカが自分を獲物と見間違えて舞い降りたようだ。その後しばらく、仁王山〜白木峰稜線近くの上空を舞って新たな獲物を探していた。飛騨側に比べると少ないが(二年前万波山に山スキーで登ったとき、4〜5羽のクマタカを見かけた)、白木峰山麓にも営巣しているようだ。
 大長谷温泉で一風呂浴びた後、帰路ご近所の田尻池に立ち寄った。先週の十二町潟では見かけなかったのが、すでに7~8羽の白鳥が飛来していた。灰色の幼鳥が可愛らしい。



本日のコース
大谷林道ゲートからスタート
3合目登山口
963地蔵から仁王山
標高1000mで雪が出てきた
1160展望台
金剛堂山
8合目登山口
1334ピーク下の兄弟ブナ
林道上部
白木峰山荘下に自転車デポ
山頂北面に先週降った雪が残る
 
薬師岳
浮島の池
山頂方面へ引き返す
山頂から北アルプスを一望
手前から小白木峰、金剛堂山、白山
富山湾方面
クマタカ発見
ブナの森
紅葉



21世紀の森ゴール

帰路、田尻池に立ち寄る

使用カメラ:LUMIX DMC-LF1

2016年11月6日日曜日

三尾峠(みおとうげ)、富山県と石川県

峠下の杉野屋・走入分岐点

ロードバイクで自宅発、氷見から小久米集落、三尾峠を経て、羽咋郡の宝立志水町へ。のと里山海道沿いのサイクリングロードを走ってJR金沢ゴール。初冬の里山サイクリングを満喫した。


本日のルート

高岡の金屋町
高岡-氷見市境の桜峠
十二町潟水郷公園
駒つなぎ桜@氷見市栗原 
氷見市小久米
三尾峠
峠の茶屋 

のと里山海道沿いのサイクリング道をひた走って金沢へ




2016年11月3日木曜日

点をつなぐ2

昨日立山が初冠雪しました。観測史上二番目に遅い記録だそうです。



前回前々回の続き、

ジョブスは、経済的な理由で大学を中退した後もしばらく大学に居残って、自分の将来や卒業単位のためでなく、単純に興味・関心のため、要は面白いと思う授業を受けていたわけですね。そしてそこで学んだこと、たとえば書体美術などが、アップルコンピューターを起業したとき、(結果的に)たいへん役に立ったというわけです。
 しかし、この後のスピーチにも出てくるように、書体をはじめとするスタイルへのこだわりが、会社の経営を圧迫して他の幹部との軋轢を生み、自分が創業した会社から追放される原因にもなるのです。そうしてアップルを一度辞めた後、教育用コンピューターのNEXTをつくったり、映画用コンピューターグラフィクスのピクサーに関わっていくことなって、新たな点をつないでいきます。

 アドラーの「嫌われる勇気」に戻ると、終盤第五章「人生とは連続する刹那である」にも点をつなぐ話が出てきます。「嫌われる勇気」は共著者の二人を思わせる「哲人」と「青年」の対話の体裁をとっているのですが、その青年は、人生を登山に例えて、登山が山頂を目指すように人生には高邁な目標が必要だと考えています。それに対して哲人はこういいます。

哲人 しかし、もしも人生が山頂にたどり着くための登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。つまり、山を踏破したところから「ほんとうの人生」がはじまるのであって、そこに至るまでの道のりは「仮のわたし」による「仮の人生」なのだと。
 青年 そうともいえるでしょう。いまのわたしは、まさに途上の人間です。
 哲人 では、仮にあなたが山頂にたどり着けなかったとしたら、あなたの生はどうなるのでしょう? 事故や病気などでたどり着けないこともありますし、登山そのものが失敗に終わる可能性も十分にありえます。「途上」のまま、「仮のわたし」のまま、そして「仮の人生」のまま、人生が中断されてしまうわけです。いったい、その場合の生とはなんなのでしょうか
 青年 そ、それは自業自得ですよ! わたしに能力がなかった、山を登るだけの体力がなかった、運がなかった、実力不足だった、それだけの話です! ええ、その現実を受け入れる覚悟はできています!
 哲人 アドラー心理学の立場は違います。人生を登山のように考えている人は、自らの生を「線」としてとらえています。この世に生を受けた瞬間からはじまった線が、大小さまざまなカーヴを描きながら頂点に達し、やがて死という終点を迎えるのだと。しかし、こうして人生を物語のようにとらえる発想は、フロイト的な原因論にもつながる考えであり、人生の大半を「途上」としてしまう考え方なのです。
 青年 では、人生はどんな姿だとおっしゃるのです!?
 哲人 線ととらえるのでなく、人生は点の連続なのだと考えてください。
・・・・・、線のように映る生は点の連続であり、すなわち人生は連続する刹那なのです。われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。もしも人生が線であるのなら、人生設計も可能です。しかし、われわれの人生は点の連続でしかありません。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです

つまり、過去によって現在が規定されることはなく、現在によって未来は規定されない、ということです。

ジョブスはその後、アップルに復帰してiPodやiPhone、音楽配信などで、コンピューターの枠を超えた成功をおさめていきます。我々からは、見事に点がつながっているように見えるのですが、彼自身話しているように、あらかじめ意図を持って点をつなぐことなど不可能だというのです。

有名な元野球選手の例を考えましょう。この人の「点」は以下のようなものです。

• 野球の名門高校に入学して甲子園で活躍する。
• 意中の人気プロ野球球団と高校のチームメイトに裏切られて、不人気リーグのローカルチームに入団する。
• 一年目に高卒選手としては大活躍して新人賞を獲得し、まわりにチヤホヤされるようになる。
• プロ10年を最初のチームで活躍してリーグを代表する人気選手となり、FA権を獲得して在京の人気球団に移籍する。
• 人気球団では活躍したシーズンはあったものの、度重なる怪我に悩まされる。
• 美人モデルと結婚して二児をもうける。
• 怪我のため思い通りのプレーを続けることが出来なくなり、首脳陣と対立してチーム内で孤立、退団を余儀なくされる。
• 別チームで二年プレーした後引退。
• 薬物に依存するようになる。
• 家族に見放されて離婚。
• 週刊誌に薬物疑惑が報道される。
• 覚醒罪取締法違反で逮捕、有罪判決をうける。

この元選手の場合も外からは見事に点がつながっているように見えますが、アドラー心理学によれば、それは「偽りの因果律」だということになります。取り返せない過去などなく、その気になる勇気さえあれば、いくらでもやり直すことが出来るということです。

この項続く


太閤山公園



2016年11月1日火曜日

点をつなぐ

最初に購入したコンピューター


前回
の続きです。

ジョブスのスピーチに出てくる最初の話は「Connecticing the dots(点をつなぐ)」でした。「嫌われる勇気」の最後にもほぼ同じ内容のことが書いてあります。

 まずジョブスの方を先に紹介します。ちょっと長いですがスピーチから引用します(誤訳があったらゴメンなさい)。

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?

私は入学して六ヶ月でリード大学を退学しました。その後、18ヶ月かそこら大学に居座った後、本当にやめました。では何故やめたのか?

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.

話は、私が生まれたすぐ後に始まります。自分を産んだ母はまだ若く、未婚の大学院生でした。そして私を養子に出す事ことにしたのです。母は私を大学出の人の養子にしたいと強く願い、弁護士とその奥さんにもらわれるよう取計らっていたのです。しかし、彼らは私が生まれる直前になって、本当は女の子が欲しいと心変わりしました。養子のキャンセル待ちリストに載っていた両親は、真夜中に電話で、”行き先が決まっていない男の赤ちゃんが生まれたのだけど、欲しいですか?”と聞かれて、”もちろん”と答えました。その後私の母は、私の養母が大学を出ておらず、養父は高校さえ卒業していないことを知って、養子縁組の契約書にサインすることを拒みました。一、二ヶ月後、母は私を将来大学へ行かせることを養父母と約束することで落ち着くことが出来ました。

And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.

17年後、私は本当に大学へ行くことになりました。しかし私は迂闊にもスタンフォードと同じくらい学費の高い大学を選んでしまったのです。労働者階級の養父母の蓄えは全て,私の学費に費やされてしまったのです。6ヶ月後、私は大学にその価値を見出すことが出来ませんでした。私は将来何になりたいのかわからず、大学がそれを見つけ出す助けになるとも思えませんでした。そんなところで私は養父母が老後のために蓄えていた全てのお金を使ってしまったのです。それで私は退学することを決め、それでもなんとかなるさと信じていました。本当はその時ちょっと怖かったのですが、後になってみると私が行った最良の選択の一つだと思っています。退学すると、興味のない必修科目の受講を全て取りやめて、面白そうな講義を選んで受講するようになりました。

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5 deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:

それは全くロマンティックな生活ではありませんでした。学生寮を追い出され、友人の家の床で寝て、拾ったコーラ瓶を小銭に変えて食べ物を買いました。毎週日曜日の晩に10キロ歩いて街外れのヒンズー寺院に行き、週一回のまともな食事にありつきました。でも実はそれが楽しかったのです。当時自分の直感と好奇心に駆られて偶然出会ったものが、後々かけがえのないもになりました。例えば次のようなものです。 

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.

リード大学(米国北西部ポートランドにある私立大学)は当時恐らく、全米で最も優れたカリグラフィー(書体学)の講義を行っていました。キャンパス中のポスターや引き出しのラベルは全て美しく手書きされていました。私は退学し、通常の講義を受ける必要がなかったので、カリグラフィーの講義を受講して、どうすればそういう文字を描けるのか学ぶことにしました。シェリフとサンシェリフの書体について、異なる文字の組み合わせの間の間隔を変えることについて、偉大な活版印刷術の何がすごいのか学びました。それは、美しく、歴史的で、科学が捉えることが出来ないほど芸術的に繊細であり、私を魅了しました。

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.

当時これらのうちどれかが、自分の人生において実際に役に立つとは夢にも思いませんでした。しかし10年後私たちが、最初のマッキントッシュコンピューターを作った時、それらは全てやって来ました。そして、それらを全て最初のマックに作り込みました。それは、活版印刷術を持った最初のコンピューターだったのです。私がもしも、入学した大学を最初の一学期で退学することがなければ、最初のマックが複数の書体を持つことはなく、適切に間隔を空けたフォントを持つこともなかったでしょう。そして、ウィンドウズがマックをコピーして出来たパソコンがそのようなフォントを持つこともなかったでしょう。私がもし退学していなければ、カリグラフィーの授業を受けることこともなく、パソコンがすばらしい書体をもつこともなかったでしょう。もちろん、私が大学にいたときにこれらの点をつなぐことをあらかじめ予見することは不可能でした。しかし10年後振り返れば、そのこと(点と点がつながったこと)は非常に明らかにでした。

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

繰り返しになりますが、あらかじめ点と点をつなげることを意図して行動することは不可能です。過去を振り返ったときにだけつなぐことができるのです。だから、点はなんらかのかたちで、いつかつながることを信じて下さい。あなたは何かを、根性、運命、人生、カルマ、業など、何であろうと信じなければなりません。この考え方は、けっして私をがっかりさせたことはなく、私の人生を全く違ったものにしました。

この項続く